身延山・七面山 修行走  修行道のご説明

修行道のご説明

 

ご存知の方もいらっしゃると思うのですが、
身延山には日蓮宗の総本山久遠寺がございます。IMG_1610
江戸時代には身延の町は全国の日蓮宗のご信者さんが参拝されて、かなりの賑わいを見せるようになってきました。
そのころの書籍を見ますと、身延山と七面山を、距離的には数十キロあるわけですが、徒歩で参拝するのが流行していたようです。この道が今回のマウンテンランニングのコースとなります。このルートを身延往還(みのぶおうかん)といいます。身延往還(みのぶおうかん)をご説明しますと、現在のように国道のような交通網が整備される昭和20年代までは、多くの参拝者さんや、身延町と早川町を結ぶ生活道でしたので、七面山へ荷物を運ぶ地元の強力衆などで活況を極めておりました。七面山は日蓮上人が身延に移り住む前は「甲斐修験道(かいしゅげんどう)」という修行をする山の一つだったそうで、現在でも日蓮宗では珍しいそうなのですが、山岳修行の形態を色濃く残しており、修行の山として多くの方から信仰を集めています。七面山はもともと女人禁制の山だったそうなのですが、あの有名な徳川家康さんの側室のお万の方様が、身延山を越え七面山の麓の滝で7日間身を清めて、七面山に登られたという記録も残っております。
現在ではトレッキングブームもあり身延山、七面山それぞれに登山される方も多くなってきておりますが、今では人通りが少なくなってしまいました身延山・七面山をつなぐ身延往還(みのぶおうかん)の道を多くの人に知ってい頂き、身延山、七面山の修行の歴史や、それを支えてきた本当に多くの方々の歴史に触れて頂きたくこの大会を企画いたしました。

 

1:七面昇龍ロングコース(36km) スタート 7:30 ゴール15:30 (8時間制限)

2:思親報恩ショートコース(13km) スタート 9:00 ゴール13:00 (4時間制限)


詳しい修行道地図をPDFでご覧頂けます。

身延山七面山修行道PDFファイルはこちら

ストック使用-1七面昇竜ロングコースのみストック使用ができます。

ストック使用区間についてですが、
第一関門の羽衣(はごろも)から、第二関門角瀬(すみせ)までとなります。

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コース全体図(2013年10月11日)-
七面昇竜ロングコースの由来
今から700年以上昔、日蓮聖人がこの身延の地に移り住まわれました。
当時の身延は日蓮聖人の御文章にあるように非常に山深く、住む人々も貧しい様子でした。
村の人々は立派なお坊さんがやってきたという噂を聞きつけ、
日蓮聖人のもとに有難い説法を聞きに来る人の数は日に日に増して行きました。
そんなある日、村の人々に混じり一人の美しい女性がお話を聞きに来るようになりました。
日蓮聖人のお弟子様方、村の人々はいったいどういった方なのだろうと口々に噂をするようになりました。
すると日蓮聖人は初めから事情を分かった様子でその女性に、
「あなたの本性を見せてやりなさい」と手元にあった水差しの水を一滴ふりかけると、その女性はたちまち龍の姿に変化し、
「日蓮聖人の説法を聞いて覚りを得ることができました。
これから法華経行者の守護神となります」という誓願をたて、七面山に飛んで帰ったそうです。
七面山は高低差1200mの険しいのぼりです、皆さんがそこを無心に駆け登る姿はまさしく古来の修行者のようであり、
龍の山へ登る姿と重ねこの名前を付けさせて頂きました。

コース分岐拡大図(2013年10月11日) 思親報恩ショートコースの由来
日蓮聖人は身延山の麓、身延川のそばに庵を建てお住まいになっていました。
残された御文章に「孝と申すは高なり天高けれども孝よりは高からず、又孝とは厚なり地厚けれども孝よりは厚からず」とありますとおり、
ご両親から受けた恩を大切に考えておられました。
日蓮聖人は度々身延山の山頂に立ち遙か房州のご両親に感謝の祈りを捧げられた霊場であります。
この山の霊気を一身に浴びて、今自身が存在することの有り難さを感じて頂ければと思います。

抜苦与楽への道の意味
仏教の基本理念であり、修行することの目的でもあります。
この世の中は様々な苦しみに満ちており、それは欲望であったり、妬みであったり、恨みであったり様々です。
時には生きるための大きなパワーともなりえますが、その先には同じ苦しみが待っています。
仏道修行はそのような生きる限り続く苦しみから解放させる教えであります。
さらには苦しみを乗り越えた本当の強い人間こそが苦しむ人に楽を与えることができるのです。
この険しいコースを完走したランナー達の笑顔を思い、またレースに関わる人達すべてが一つに繋がる様にと思いをこめました。

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