修行道の説明

修行道について

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七面山IMGP8382

ご存知の方もいらっしゃると思うのですが、
身延山には日蓮宗の総本山久遠寺がございます。江戸時代には身延の町は全国の日蓮宗のご信者さんが参拝されて、かなりの賑わいを見せるようになってきました。
そのころの書籍を見ますと、身延山と七面山を、距離的には数十キロあるわけですが、徒歩で参拝するのが流行していたようです。この道が今回のマウンテンランニングのコースとなります。このルートを身延往還(みのぶおうかん)といいます。身延往還(みのぶおうかん)をご説明しますと、現在のように国道のような交通網が整備される昭和20年代までは、多くの参拝者さんや、身延町と早川町を結ぶ生活道でしたので、七面山へ荷物を運ぶ地元の強力衆などで活況を極めておりました。七面山は日蓮上人が身延に移り住む前は「甲斐修験道(かいしゅげんどう)」という修行をする山の一つだったそうで、現在でも日蓮宗では珍しいそうなのですが、山岳修行の形態を色濃く残しており、修行の山として多くの方から信仰を集めています。七面山はもともと女人禁制の山だったそうなのですが、あの有名な徳川家康さんの側室のお万の方様が、身延山を越え七面山の麓の滝で7日間身を清めて、七面山に登られたという記録も残っております。
現在ではトレッキングブームもあり身延山、七面山それぞれに登山される方も多くなってきておりますが、今では人通りが少なくなってしまいました身延山・七面山をつなぐ身延往還(みのぶおうかん)の道を多くの人に知ってい頂き、身延山、七面山の修行の歴史や、それを支えてきた本当に多くの方々の歴史に触れて頂きたくこの大会を企画いたしました。

コースは2種類

1:七面昇龍ロングコース(40km) スタート 9:15 ゴール17:15 (8時間制限)

2:思親報恩ショートコース(13km) スタート11:00 ゴール15:00 (4時間制限)

【七面昇龍ロングコース】:制限時間8時間以内/総距離40km
スタート9:15 ゴール締切17:15/(身延山久遠寺三門前)
〈第1関門〉羽衣 時間11:45(2h30m以内) 距離13.9km 給水・救護所・トイレ
〈第2関門〉敬慎院 時間14:15(5h以内) 距離19km 給水・救護所・トイレ
〈第3関門〉角瀬 時間14:55(5h40m以内) 距離25.5km 給水・救護所・トイレ

【思親報恩ショートコース】:制限時間4時間以内/総距離13km/
スタート11:00 ゴール締切15:00(身延山久遠寺三門前)
〈第1関門〉思親閣 時間13:00(2h以内) 距離5.4km 給水・救護所・トイレ

スタート・ゴール地点は、身延山門前町主会場(仲町駐車場)です。

修行走コース全体図・分岐図はここをタップ

七面昇龍ロングコース思親報恩ショートコース
6:30受付開始
8:45レースブリーフィング
9:15スタート
9:20受付開始
10:30レースブリーフィング
11:00スタート
11:45第一関門CUT(羽衣)
13:00第一関門CUT(思親閣)
14:15七面山関門締め切り
14:55第二関門CUT(角瀬)
15:00ゴール締め切り
17:15ゴール締め切り
第一関門制限時間2時間30分第一関門制限時間2時間
七面山関門制限5時間
第二関門制限時間5時間40分ゴール制限時間4時間
ゴール制限時間8時間

常に登っているか下っているかの修行道

エイドステーション、標高、ストック使用可能区間等の確認。

ストック使用区間についてですが、
第一関門の羽衣(はごろも)から、第二関門角瀬(すみせ)までとなります。

七面昇龍ロングコースの由来

今から700年以上昔、日蓮聖人がこの身延の地に移り住まわれました。
当時の身延は日蓮聖人の御文章にあるように非常に山深く、住む人々も貧しい様子でした。
村の人々は立派なお坊さんがやってきたという噂を聞きつけ、
日蓮聖人のもとに有難い説法を聞きに来る人の数は日に日に増して行きました。
そんなある日、村の人々に混じり一人の美しい女性がお話を聞きに来るようになりました。
日蓮聖人のお弟子様方、村の人々はいったいどういった方なのだろうと口々に噂をするようになりました。
すると日蓮聖人は初めから事情を分かった様子でその女性に、
「あなたの本性を見せてやりなさい」と手元にあった水差しの水を一滴ふりかけると、その女性はたちまち龍の姿に変化し、
「日蓮聖人の説法を聞いて覚りを得ることができました。
これから法華経行者の守護神となります」という誓願をたて、七面山に飛んで帰ったそうです。
七面山は高低差1200mの険しいのぼりです、皆さんがそこを無心に駆け登る姿はまさしく古来の修行者のようであり、
龍の山へ登る姿と重ねこの名前を付けさせて頂きました。

思親報恩ショートコースの由来

日蓮聖人は身延山の麓、身延川のそばに庵を建てお住まいになっていました。
残された御文章に「孝と申すは高なり天高けれども孝よりは高からず、
又孝とは厚なり地厚けれども孝よりは厚からず」とありますとおり、
ご両親から受けた恩を大切に考えておられました。
日蓮聖人は度々身延山の山頂に立ち遙か房州のご両親に感謝の祈りを捧げられた霊場であります。
この山の霊気を一身に浴びて、今自身が存在することの有り難さを感じて頂ければと思います。

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